私は2002年四月から日本語のせんせいになりました。
まだまだへっぽこ新米教師です。ここでは簡単に日本語のせんせいになるまでの軌跡をお話したいと思います。
少し長いのですが、興味のあるところだけでも読んでやってください。

高校時代
高校生の時の私の将来の夢は先生ではありませんでした。本が好きで国語が得意だから出版関係の仕事に就けたらなぁ、とぼんやり思っていたくらいです。
ただ、高校2年、3年と英語の先生が担任だったことから、その先生の方針で学級日誌を英語で書くなど英語に重点を置いたクラスになっていたので(英語嫌いな友達は泣きそうだったけど)英語は得意なほうになっていました。

大学に入る
そんな感じで選んだ学科は国文学科。
本当は文章を書く力をつけられる関東圏某大学の日本文学科(だったかな?)に行きたかったけど親が家から通える範囲じゃないとだめだと反対したので、仕方なくそれに近そうな国文学科に絞ったわけです。
私は大学のブランドよりやりたいことが学べる学科に入りたかったので受験したのは国文学科のみでした。
そしてめでたく(?)第ニ希望の大学に入学して無事大学生活がスタートしました。

大学生活
一言で言うと楽しい大学生活でした。
好きな旅行をしまくりました。おいしいランチめぐりをしまくりました。
でも、大学で学ぶことはなんだか空虚でした。
せっかく大学に入ったんだからと取れる資格に関する講義を受けてはいました。
(おかげで教員免許を持つことができ今の私からしたらやっていて良かったが、その当時はただ一応取っておこうくらいの気持ちだった。)
ただ、授業内容は、やはり興味が沸かないものばかり。
必修科目で仕方が無く草書体(くずし字)を読んだり、歴史嫌いなのに平家物語とか仏教文学とかで結局その時代の人名や出来事なども覚えなおしたり・・。
このまま四年間を終えていいのかな?そんな疑問が沸いたのは大学2年生のときでした。
そのときたまたまキャッチで(汗)ひっかかった英会話学校に興味を示してしまうんです。
キャッチとはいえ、教えている先生はまともだったのが救い。
ただ、何万ものカセットテープまでついてきたのが今でも腹立たしい。ハハ・・。

英会話学校
そんな感じで入った英会話学校で私はすばらしい先生に出会います。
とってもフレンドリーで、授業の空き時間はホールで学生とチェスなどをして楽しんでいます。
授業もとても楽しい!そこで私は勘違いをしてしまいます。
こんな仕事に就きたい!!すごく楽しそう!!と。
自分の母国語で話すだけで仕事になるなんて、なんていいんだ!!と。大学3年生の春でした。
今思うと浅はかでした。その先生が楽しんで勉強させるというテクニックに優れていたということに全く気がつかなかったんですから。

通信教育
ダブルスクールを一度は考えたものの英会話もやっているし・・と出た結論が通信。
それで私は日本語文法の面白さにはまってしまいます。(今は泣かされてますが・・・)
普段何気なく使っていることば、例えば”は”と”が”を私はこんな風に使い分けていたんだ!!と。まさに目から鱗!
そして勉強しているうちに大学で少しかじった音声学や言語学も出てきて大学を見なおすきっかけにもなったんです。
やはり、興味があるとないとでは講義への取り組み方が全く違う!
昔のノートを引っ張り出して「はぁ、あの時教授はこれのことを言っていたのかぁ。真面目に聞いてなかったなぁ。」と再認識したわけです。
そして、無事その年の冬の日本語教育能力検定試験に合格!と同時に大学では就職ガイダンスが始まりだしました。
●通信講座を受けた時の詳細はこちらから●



就職活動
就職活動で私はとても悩みました。
このころには、日本語学校の先生は欠員補充がほとんどだということや、即戦力が求められるということを知っていました。
そして、未経験でも比較的簡単にできる就職の方法(国内では)がその学校の養成講座を出ることだということを知りました。
やはり通信では限界があるのだろうか?
悩んだ末、養成講座を持っている学校の事務局をたずねてこう聞きました。
「養成講座を出ればすぐに仕事に就けますか?」
返ってきた答えは
「正直、難しいですよ。やはり求人枠が少ないですから。新卒なら他の企業を経験してからでも遅くないですよ。かえって、社会経験のある人のほうがいいかもしれませんね。」
もしかしたら金儲けの対象になるかもしれない(つまり入学するかもしれない)人物に対して現状をきちんと教えてくれたこの事務の方に今はとても感謝しています。
ここで、「はい、我が校なら!」と簡単に夢を抱かせて破れるよりはよっぽど良心的です。
そういう訳でいったんは日本語教師をあきらめ、好きな接客業に就こう!旅行もすきだし、ホテルの雰囲気も好き!!と安易にホテルウーマンを目指し、無事ホテルで内定をいただきました。
(このときも私はホテル以外受験しなかったなぁ・・。私って意外に頑固だ。書きながら自分の性格が見えてちょっとびっくり。)

再び夢復活!
こうしてホテルに就職した私が配属された部署は料飲部でした。
簡単に言うとレストラン部門。
客室係を希望していた私は非常にショックでした。
はじめての仕事が水だし。そしてグラス磨きとナフキンとトーション(ウエイター、ウエイトレスが持っている布。代表的な使用法はワインサービスのときかな?)を折ること。
バイトみたいだと思いました。
それからランナー(料理を運ぶ係。客には直接出さない)になって、徐々にホールやデシャップ(調理場とホールの情報の橋渡し。この係があってこそコース料理がスムーズに出る。忙しいときは地獄。)キャッシャーなどを経験していきます。
でも、ホテルで働いているのに客室にぜんぜん触れないのがとても不満でした。
入社2年目。ニューオープンの大きなホテルに移動します。
そこでも料飲課。
マネージャーに良くしてもらい、仕事も慣れてきて、後にキャッシャーのトップにもなりました。(というか、五人くらいのグループで私だけが先輩だったという話だが)
しかし、これで結果的にキャッシャーの責任者のような形になり、人事異動も望み薄になってしまいました。
このとき私は日本語のボランティアをしていました。
ボランティアの楽しさとホテルでの現実。これが夢を再燃させていったのです。
●ちょっとだけボランティア編はこちら●



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